低学年不登校HSCの軌跡 6)はじめての進級と付き添い登校

HSC小学生不登校 HSP/HSC

不登校の子でも
新学年になると学校に来れる場合がある。

不登校体験談などでそういう知識があり
春が近づくにつれ、
どこかでやっぱり進級を少し意識していました。

それでも
「学校には行かなくてもいい」と息子と約束した手前
行こうと誘うわけにもいかなかった小1の終わり。

春休み前から
「2年生になったらちょっと行ってみようかな」
と本人は言ってはいたものの、あまり期待しないようにしました。

完全不登校になる前にも
「明日は行ってみる」「ひとりで行けると思う」
と宣言してはいけないことが度々あったのです。

どうなることやらと思いながら迎えた、初めての進級。

そして始まった付き添い登校の日々のこと。

2年生、意外にも毎日学校に行き始める

2年生に進級した4月、
授業初日から教室を覗きに行きました。

その時書いたSNSを発見。

教室のドアから中を覗き、後ろのドアを半分開けて新しい先生の様子を伺い、徐々に教室に入り、後ろに置いた席にちょっと座って見たりする感じでした。

例えるなら、拾われてきた野良犬。

ここの居心地はどうだ。
安全か。
ちょっといたずらしたらどうか。
少し文句を言ってみたらどうか。
甘えてみたらどうだ。

そんな風に久しぶりに試してみているのかも。

ひさしぶりに登場した態度の悪いレアキャラに、
クラスの子も先生も
サポート教員の方々も
やっときたかー、と温かい眼差しを注いでくれました。

そんな姿がかわいいと思ってもらえる間に
人との距離感とか心地いい過ごし方とか
まあいろいろ試行錯誤できたらよいなと。

明日もちょこっといってみようと言うと
ちょっとは行く、とのことでした!

野生動物みたいでしたね。
安全を確認しながら、恐る恐る新しい場所に出ていく。

彼の場合、
学校が本当にどうしてもダメなのか
1年生の時の担任との相性問題が強いのか
わからない部分はあり、
もう一度トライすることには意味があると思っていました。

難しかったです。
本人が絶対に行かないと決めているときは
親としても「行きたくないなら行かなくてよい」と
はらをくくることができる。

でも
行ってみようかなって言われると
もしできたら普通に通ってほしいと思ってしまうのでした。

実際に、意外にも
完全付き添いとはいえ学校にいられるようになると
「慣れてきましたね」と先生と親で喜び合うように。

 

1年生の不登校期間にエネルギーが十分に回復した。
今回は担任との相性もよさそう。

苦手はありつつも
学校生活に慣れていくのかもしれない。

2年生の1学期、確かに私はそう感じていました。

 

とはいえ、今となれば、
息子は慣れたのではなくて耐えていたようにも思います。

  • 休み時間には校庭でクラスの子と遊ぶ
  • 算数や図工など得意な授業には参加

と徐々にできることが増える一方で

  • 音に対する過敏性が強まり、耳をふさぐように
  • 給食に食べられないものが多く、味覚が過敏に

とむしろ過敏性が増していく面もありました。

敏感なのはHSCの特性でも、過敏なのはストレスの結果かもしれない

特に音に関しては、元はそこまで過敏ではなかったのです。

息子は自分の気持ちを表現できないことが課題で
何が嫌だとかどうしたいということは言えず
「行きたくない」「今日は行ってみる」
その程度の意思表示しかできませんでした。

だからどの程度のストレスなのかは観察するしかない。

これは息子に限らず、不登校の子の多くにあると思うのですが

なぜ行きたくないのか
何が嫌なのか

自分にもよくわからない、説明できないけど無理

そんな感覚のようです。

息子の様子を見ていると
学校に行く足取りが重くなり、
登校に時間がかかるようになり。

慣れてはいなそう、やっぱり無理かもしれないな、
と私が認められたのは2年生1学期も終わりかけでした。

もう行かないと言ったけど……揺れる子供心と母心

そして迎えた夏休み。

「もう学校行かないから」と息子による再宣言。

そうだよねぇ。やっぱりホームスクール?と母は半分諦めつつも
実は2年生からは個別支援教室の対象となり
1対1で勉強を見てもらえる時間があったのです。

「個別だけ行ったら?せっかくなんだから」
「えー……個別だけなら行ってみようかな」
というようなやり取りがあり、結局個別級+少しという感じで教室にも顔を出す形に。

2学期のSNSについてはこんな感じ。

家を拠点にしつつ、本人が楽しめたり必要だと思える範囲で学校や習い事にも行く。学校も1つのオプションだから、やめることもできる!少しだけ通うのもあり。

そんなハイブリッドなホームスクーリングをやっていけたらいいんだけど、とイメージしています。理想な環境を探すよりは組み合わせでいい感じにカスタマイズの方向で。

実際にはいつも予想通りでない現実に「え、もう学校行かないんじゃないの?母同伴で行くの?お母さん仕事結構今テンパってる!」とイラついたりしてますけどー。

 

いったんは「行かなくていい」と言った母なのに
結局少しは行ってくれと頼んだり
こんな風にイラついたりもしている毎日でしたね。

本当に、一筋縄ではいかない不登校。

約束やいったん決めたことを守る。貫く

ということが割と人生の基本なのではと思っていた私ですが、この頃になると

臨機応変。今の感覚・気持ちを大事にする

という方向へ舵を切っていたような気がします。

試行錯誤し、揺れ続ける子供の心と母の心。

揺れながら試しながら、
時に話をしたり観察したりして判断しながら
その時々で生きていく。

かっこよく言えば
今を生きるってことなのかもしれませんね。

より普通に言うなら
紆余曲折ってことですよ!

疲労に回復が追い付かない3学期

個別級プラスアルファだけの日々でさえも
3学期になると息子のエネルギーはすっかり切れてしまい
「行きたくない」と玄関から出るのに時間がかかったり
「これを着ていく」と毛布をかぶって行ったり
人目を避けるような行動がまた出てきてしまいました。

だんだん、
教室には入らず廊下で過ごす時間も。
そして、他学年が通る時などには隠れるしぐさ。

今思えば、このときにまた「行かなくていいよ」と
言ってあげたらよかったかもしれないです。

でもせっかくできた学校とのつながりやサポートを
受けられなくなることが残念過ぎて

「個別級だけでも行こう」という形で何とか年度末まで。

何か特別嫌なことがあるようには見えない。
でも学校に行くたびに少しずつ疲れていく。

息子曰く「行くと元気が減る」。

帰ってくると、疲れたのかぼーっとテレビを見ている。
回復のためのポジティブな充電には見えない、
ただ刺激から離れて力尽きている。
そんな日もありました。

神経的疲労に回復が追い付かず
敏感な子HSCである息子のエネルギー貯蓄が
またじわじわと減って弱っていくようでした。

弱い境界、不器用な境界

今振り返って思えば
息子はやはり大人との境界が弱いのです。

大人に期待されるとうまく断れない。

もうちょっと頑張ろうか?と声をかけられるとうなずいてしまう。

かと思うと
プリントをぐちゃぐちゃに丸めてみたり
机の下に隠れたり
わざと指示に従わないでやってみたり。

彼なりに我を通し身を守ろうとする不器用さもありました。

私からは
やりたくなかったらやりたくないって言葉で伝えよう
と繰り返し伝えてはいました。

境界問題はとても難しいことでした。

フリース毛布をかぶって登校するようなおかしな行動も、
彼にとっては身を守る鎧のような
暖かく安心できるバリアのような
そういったものだったのかもしれません。

発達の凸凹によるものもあるだろうと相談に行って
感覚統合的な運動遊びを取り入れたり
食生活を改善する栄養療法を調べてみたりして
多少スムーズにはなる面もありました。

手持ちのアロマやエッセンスを使ったり
手当療法的な手技で回復を促したり
エネルギー・気力回復サポートしたりも続けて
ある程度効果も出ているようでした。

でも何をやっても追い付かない、
ないよりはいいんだけど……
程度の実感しかなかったのがまだこの頃。

学校に行くのかやめるのか
少し距離をとればいいのか
どこかにこの子にも歩いていける道筋はないものか。

いや、そんな私たち大人の常識範囲での期待が
この子の可能性を狭めているのだろうか。

色々と考えさせられた2年生の時期でした。

続きは、7)そして、3年生になりました です。

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