小学生の不登校。
以前は珍しいと思われていましたが、年々増えていると言われていますね。
特に低学年。しかも小1から。という子もじわじわと増え続けている様子です。
そんな増えつつある低学年不登校HSCだった息子。
今年度は小4になり、ついに『低学年』不登校ではなくなってしまいました。
忘れてしまう前にちょっとこの3年を振り返ってみたいと思い立ち
低学年不登校HSCの軌跡としてシリーズでお伝えしますね。
今同じような状況で疲れている方々の参考になれば。
今日はまず、「不登校がはじまった小学校1年生の頃」のこと。
小学校への行き渋りから一気に不登校へ
息子が学校に行けなくなったのは、3年前。小学校1年生の6月。まだ入学してたった2か月でした。
それまでにも「行きたくないな~」と呟く日はあったものの、まだ学校生活に慣れていないからだろうと軽い気持ちで様子を見ていたのです。
いえいえ、甘かった。
そんな軽い行き渋りから、ある日突然の「もう学校行かない!」宣言発生。
理由を聞いても「行きたくない。もう嫌だ」「学校には面白いことがなんにもない」と具体的な話にはならず。
でも毎朝かたくなに登校を拒みます。
根気よく話を聞いていっても
「休み時間が短い」「隣のクラスよりも帰る時間がすごく遅い」など、まぁそれはちょっと嫌だろうけど……という程度の話。
担任やスクールカウンセラーに相談し、まずは母の付き添い登校を試してみると。
小1でまだ落ち着かないクラスを先生がうまく運営できていない状態でした。
- ピリピリした声
- 繰り返される喧嘩、結果、短くなる休み時間
- じっと待たされる子供たち……
と悪循環もあるようでした。
1学期はそのまま付き添い登校で何とか終業式までこぎつけるも、毎日大暴れしたり泣いたりして抵抗。
泣いている子を無理やり連れていくという不登校初期あるあるの親子バトル状態でした。
そして夏休みを挟んで2学期。
初日だけは頑張っていったあと、「もう絶対無理」と完全不登校になってしまいました。
完全に混乱していた低学年不登校初期
あの頃は本当に、大変でしたね……
保育園には元気に通っていた息子が、突然不登校になるなんて考えたこともなかったし、本人も小学校を楽しみにしていたのに。
何が起きたの???と母親の私が混乱状態でした。
子ども自身もつらかったと思いますが、まだそこを思いやれる余裕がなく、息子の味方になりきれていなかった時期です。
父親は、「担任の先生が悪いんじゃないか」と言い。
担任は、「頑張ってほしいです。なんなら迎えに行きます」と。
と情熱のある方なんだけれど話はあまり通じない。
そして学校側は 「お子さんは発達に問題があるのではないか」と言う。
先生の指導に多少課題はあるとしても、ほかのお子さんはみんな来ていますよ、と。
そういわれてしまえばその通り。
一方で、息子は「行きたくない!」と泣き叫び、先生たちは「何が嫌なんだろう?」と答えの出ない問いを繰り返す。
夫(父親)や母(祖母)たちからも「どうして行けないの?」「何がいやなの?」と質問されても答えられない息子を、家庭内でも私がかばいながらも。
私自身も
- どうなってるの?先生がおかしいの?
- この子に何か問題があるの?
- 休ませた方がいいの?無理にでも行かせれば慣れるの?
と内側では混乱を極めていました。
この頃はとにかく
「行けない理由はなんなのか?」
「そこを解決すればよいのでは?」
という思考だったので
で学校の求めに応じてWISC-IVを受けたりして何が悪いのかを探していました。
そして検査によって発達に遅れがないことはわかったけれど、かといって何もわからないまま。
学校を休むようになった息子は、逃げ込むようにゲームに熱中し、今度は「ゲームのやりすぎが原因ではないか」
という別の問題まで発生し、なかなか難しい状況に追い込まれてしまいました。
HSCの息子には過酷なことをしていました
今思えば、2か月間頑張って学校に行って、様々な刺激に疲れ果て限界に達していたHSCの息子。
その後も私たち大人と、「行く」「行かない」バトルを繰り広げたり、「どうして?」と聞かれ続けて罪悪感・劣等感が沸き上がってしまったり。
外からも内からも刺激が多すぎて大変な中、自分を守るために「行かない!」と悲痛な叫び声をあげていたんですよね。
HSCの彼にとっては過酷な時期だったと思います。
ゲーム・マインクラフトをやっているときだけが、彼にとっての適度な刺激レベルの時間。
余計なことを考えずに、頭を空っぽにして穏やかに集中できる時間だったはずです。
ゲーム依存が不登校を加速しているのでは、という話にもなって、一時期はそれも取り上げたので、さらに泣き……
「ゲームがなかったら何をしていいのかわからない」という状況にすらなりました。
「そんなこと言うあなたのことがわからないよ……」と母としては途方にくれたり怒ってしまったり。
さらに息子に無理をさせて泣かせている自分にも嫌悪感。
HSC・ひといちばい敏感な子という言葉に出会う前のいちばん混乱していた時期でした。
2)HSCだと知って救われた日 に続きます。
【追記】あれから8年、息子は中学生となっており「毎日結構楽しいよ」と言いながら、サポート校で学んでいます。相変わらずの集団授業嫌いですが、友人がいて勉強する環境があり、自己肯定感もつぶれずに日々を過ごしています。
この記事、今でもかなり読んで頂いていて、低学年不登校の独特の孤独感を私も思い出しています。
不安はあると思います。先は長いです。でも大丈夫。親も子も、いろいろありましたが元気です!周りの不登校さんも皆どうにかこうにかなっています。ひとりで背負いすぎないで行きましょう。